家具を勉強すると 何が作れるようになるのか

2005.09.17  

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 目玉焼きの焼き方を覚えようと,料理学校で2年間,フライパンの温度や油の量や投入のタイミングや火加減や水加減を毎日試行錯誤したとしたら,とても綺麗だったり中にはちょっと焦がしたり形が崩れたりする程度の個人差はあれど,誰もが「目玉焼きが焼ける人」と問われたときに躊躇無く手を挙げられるようにはなるはずです.
 けど,卒業後に「目玉焼き専用レストラン」を開業してお金を取って人に目玉焼きを提供しようとしたとき,必要とされるのは「目玉焼きを焼く能力」だけではないはず.卵を見分け,ニワトリを知り,農家とコミュニケーションを図り,魅力的な店舗を構え,さらにどうしたらお客を喜ばせることが出来るのかを考える.人が変われば好みが変わるから,結局それは「人を知る」ことにつながります.
 それはもう,目玉焼きだけに使うための能力ではありません.それらの能力をフルに活用して,卵にごはんを包んだオムライスを創り上げる結果になったとしたら,それは目玉焼き専門店のメニューに加えても良いと思いませんか?

 と,デザインの授業での先生の寓話を丸写し.
 この2年間の専門教育で,僕たちは何ができるようになるのか.家具を作ることを勉強して家具が作れるようになるということは,即ち何が出来るようになったということなのか.そもそも「家具」とは何か.「家具をデザインする」とは何をどこまで考えることなのか.

 空間レイアウトの実習から,僕は,家具とは「空間を機能に変換する装置」ではないかと思い当たりました.文字通りの意味で「何もない」空間では人は何も出来ません(立つことすら.立つには床が必要だからです).けどその限りある空間の一部を喰うことで,家具が座ったり寝たりモノを置いたり閉まったりする機能を提供します.残された空間は家具ではありません.家具とは,人が生活するための(広義には活動するための)特別な機能を有した非空間(物質=もの)ではないかと思います.

 が,それはまだ「もの」としての家具を捉えただけに過ぎません.家具をデザインする,家具を考えようとするとき,そこに「人」の存在を忘れることは出来ません.先生が「人」ではなく「もの」でもなく「人ともの」というときの「と」がキーワードだと強調していたのは,水素と酸素が結合して水という新しい物質が生まれるように,「人」や「もの」単体ではなくそれが結合し複雑に絡み合い関わり合った「人ともの」という集合こそが家具デザインの真の対象になるということでしょうか.

 格好いい椅子,使いやすい収納を考えることは,所詮「もの」のデザインでしかありません.「人ともの」をデザインする.その能力は確かに家具製作の枠を超える可能性を秘めたものとして,ここで培うべき大きな目標にしたいと思います.

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今更ですが、目玉焼きに水加減ってあるのですか?

注いで蒸し焼きにするための熱湯の量.ですw

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