最も原始的なコミュニケーション「触覚」がネットで伝えられる日

2009.07.31  

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スーパーリアル フェイクファー
とある海外メーカーの本物より本物らしいフェイクファーのサンプル。
これでスツールなんか作ったらシュールなオブジェになるだろうなぁ。

 コミュニケーションが希薄になった時代だ、というようなことがよく言われる。

 声という、生きる人の息づかいがまだ十分に載せられていた電話網は、ポケベル、パソコン通信、そして携帯、ネットにあっという間に置き換わっていった。余分な情緒的情報が全て切り落とされた文字による理知的なコミュニケーションは、人の心のような実体のよくわからないものを解読する手間を省き、人を機械と同程度に無機質な存在に変えた結果、それまでには考えられなかった数々の凶悪犯罪を引き起こし、それ以前から予測されていた「コミュニケーション不全症候群」といった現象が現実になっていった。
 そして、僕たちの世代は、ちょうどそんな時代に思春期を迎えた、第一の犠牲者。

 今だから言えることかもしれないけど、僕はこの考え方にはちょっと賛同しかねる。

 僕たちが犠牲者だったとすれば、それは、視覚のみのシンプルなコミュニケーション手段が、そのデメリットも検証されないまま、最も使いやすいメディアとして野放しに提供され、さらにそれに取って代わるメディアが何もなかったこと、だと思う。
 それが引き起こした副作用にさえ目をつぶれば、僕たちは、前の世代なんか比較にならないくらいに、長時間、そして広範囲に、多様な人とコミュニケーションしてきたと胸を張れるはずだ。


 そんなことを話題にしようと思ったのは、ちょうど先週の「爆笑問題のニッポンの教養」でのテーマが「触覚エンターテイメント」。触覚を、情報理工学の立場から、情報化してデバイスで再現を試みるという、単に触覚の生理学的な仕組みを明らかにしたり統計的な傾向を探るという基礎的な研究ではなく、それらをゲームやコミュニケーションツールとして生活の中にどうやって役立てていくかという応用的な研究のお話。

 その中で一つ面白い話が聞けたと思ったのは、触覚は「相互作用」の感覚だと言うこと。視覚や聴覚や嗅覚のように外から勝手にやってきた刺激をただ受け取る器官と違って、自分と、何か別のものが触れ合い、むしろ自分から積極的に動くことでその刺激が強くなる、触れる、触れられるという「関係」があって初めて成り立つ。逆に言えば、触覚というのは、自分と他者との「関係」を作るための、最も原始的な器官だってこと。

 そうか、視覚だけ、視聴覚だけのコミュニケーションでは、この「感覚器官で成立する関係」が断たれてしまっていたんだ。そこで成立するのは、感覚的な関係ではなくて、理性的な関係。頭で理解し、想像して成り立たせている関係。頭の中で握手する映像を創り出して成り立たせている関係。けど、どれだけ頭の中で握手をしても、しあっても、実際に握手を交わしたときに伝わる「お互いの関係を築くための情報」の量には全く敵わない。
 それだけ、触覚のコミュニケーションに載せられる情報は、質も、量も、違う。

 例えば、あるところに、何かつらいことがあって本当に落ち込んでしまっているコがいたとして、そのコにどれだけたくさんの優しい言葉、励まし、慰めの言葉をかけても全く効果がなかったりすることがある。けど、そのコの肩をそっと抱いてあげるだけで、あるいは隣に座って肩を寄せるだけでも、言いたいことが全て伝わって心も落ち着きを取り戻して問題がすっかり氷解して元気になる、そんな魔法のような力が、触覚というコミュニケーションには備わっている。

 究極的には、ネットや携帯電話は、そんな情報を伝えられるメディアを目指しているんじゃないかと思ってる。というか、いずれ、きっとそうなる。どんな風に実現されるのかは全くわからないけど、そんな事はこれから考えていけばいい。

 そんな時代になったら、今の「希薄なコミュニケーション」が生んでいるいろんな問題はあっさり解決してしまうと思う。より高度なコミュニケーション手段と、それらに抵抗少なくステップアップしていく方法が確立されれば、人と人の「関係」は、かつてないほど「確かな」もの(広い、多様、強い、密接、は通過点であって最終目標じゃない。今後も多くの問題を生むだろうな)になる。

 そんな未来は、きっと明るく平和な未来だと思う。


HONDA R&D - Composition "F"
HONDA R&D - Composition "F"
ニットやフェイクファーを纏った、やわらかいくるまプロジェクト。
(TOKYO FIBER 2007)

 そういえば、世界初のロボットペットAIBOの仕草は確かにかわいらしいけど、それを抱いて撫でている黒柳徹子の姿に違和感を覚えたのは僕だけ?
 ウォーリーもとてもコミカルでキュートだけど、犬や猫のような抱きつきたくなるかわいさか、と聞かれると、ちょっと違うような気がする(やっぱ角が当たって痛そう・・・。抱きついたとして、暴れられでもしたらたまらん)。

 と思うと、要するに、彼らは「視覚的」にかわいいだけであって、「触覚的」にはかわいくも何ともないってことなんだろうな。視覚的なかわいさと、触覚的なかわいさは、やっぱり違う。

 それだけを思っても、きっとそう遠くない未来に実現する、人の生活を支援する身近なロボットは、よく見るメカメカしいものではなくてモンスターズインクのサリーみたいになるんじゃないかと思う。
 けど、そんなロボットが登場するSF作品が全然無いのは、フィクションの世界では、結局ロボットといえば「金属製でメカメカしい」というコンテクストから逃れられないからだと思う。とすると、柔らかい自動車なんかを作ろうとしているデザインの世界は、既にSFを追い越してしまっているかもしれない、と思った。

※メカメカしいものではない、となると結論はすぐ「人間そっくりのアンドロイド」となるけど、僕は、やっぱりアンドロイドは広く世間には受け入れられないと思う。有史以来人はいろんなものを作ってきたけど、人間そっくりのおもちゃや道具ってほとんど無い。あっても一部マニア向けのものばかり。
 人は人に似たものを作りたがるけど、本当にそっくりなものは近くに置きたがらない、というのは、理由はわからないけど、人の本質として備わっている性質なんじゃないかな。

リアルすぎる不安 不気味の谷をサルでも確認 - WIRED VISION
不気味の谷現象 - Wikipedia
 最後の注釈に補足。「リアルなヒューマノイドロボットは受け入れられにくい」的な考察は、40年くらい前から提唱されていたことと知って、安心と同時に無知を恥じる。人間が「人間」と「人間以外」を識別する境界線にある「人間によく似ているけど人間じゃないもの」は、死体だったり病気の人だったり「避けて通るべき」という認識が働く、というのは一理ある。ジャンプして超えるのか、谷のこちら側での普及を考えるのか。どちらにしても、あまり谷の中のゾンビを量産しないで欲しいというのが切なる願い。(2009.10.15)

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