突然だけど、自分の好きなカッコをすることと、TPOを考えたカッコをすることの、根本的な違いってなんだと思う?
個性やセンスの必要性?バランス?経済力?長期的か一時的か?
いや、最近僕は、それは究極的には「自己チュー」か「他者への思いやり」かの違いじゃないかと思い当たった。
TPOを考えると言っても、決してマニュアル通りの形式的なカッコをすれば良いという訳じゃない。TPOを考えるときには、必ずそこに居合わせる他者がいる。親しい友達、家族、会社の上司、同じ業界の人、あるいは自分は全く知らない彼らの知り合い。そこで出会う可能性のある人たちに思いを巡らし、どんな人に、どんな印象を与えるため、どういう格好をしているのがベストかを考えるというのが、TPOを考えるということになるはず。それが最終的には「自己利益」が目的であったとしても、他者の好みや視線を想像して推測して先回りするというのは、思いやりと同じ能力だと思う。
「他人がなんて思おうが構わない」ことが前提になる、自分だけのファッションに、そんな他人の気持ちを推し量る能力は必要ない。パンクやオタクファッションなど、反社会的、脱社会的なファッションカルチャーが、バランスを失い尖っていき、他者を寄せ付けない空気を醸すのは、それが「自己チューファッション」であれば当然の結果かもしれない。
自分の心に素直になろうとする働きと、存在すら証明できない他者の心を想像しようとする働きは根本的に別の能力。それは思いやりとか、気遣いとか、あるいは優しさと呼ばれる能力だから、それが発揮されたTPOの決まっている人が、ステキに見えないわけがない。他者から好かれないわけがない。
今更言うまでもないけど、これはあらゆる事に適用できる。
以前ユニクロでバイトしたときに、「ファッション」と「身だしなみ」の違いは何かと問われたが、これも中身は一緒。身だしなみはTPOの一種だし。
あと、自分で好きなものを買うのと、誰かにプレゼントを選ぶのとの違い。自分がパンクファッションが好きだからと言って、還暦を迎えたおばあちゃんにパンクジャケットをあげても喜ばない、と言ったのは谷山雅計。
他にも、自分や家族のために料理をつくるのと、友達を呼んでホームパーティするのとの違い。自分のうちで使う椅子をデザインするのと、1万人の人が使うための椅子をデザインするのとの違い。アマチュアとプロの違い。アートとデザインの違い。・・・。
で、そこからちょっと飛躍してみると、「かっこいい」や「かわいい」というのと、「おしゃれ」や「センスがある」というのも、同じような違いで括られるんじゃないかと思った。
橋本治がいうように、「かっこいい」は利己的な感情が原動力で、実際他者を顧みない「孤高」の姿はカッコいいの代表格。他とは違う。溢れる自信。確立されたアイデンティティ。一部の人に酔狂的に支持されるけど、周りの人はついていけない。
けど、「センスがある」っていうと、ちょっと響きが違うよね。もちろん個性的で先進性はあるけど、行きすぎてなく、多くの人が「ちょっといいな」と思える。尖って無くて、総体としてバランスが良い。調和が取れている。周りの、人やものの「声」にじっと聞き耳を立てる。その「感度」が高い。
それってまさに、自分の心に素直になろうとする働きと、他者の心を想像しようとする働きの違いじゃない?センスのいい人は、「時代の空気」とよく言われる、「抽象的他人」の心を読むのが上手いんだと思う。まわりの多くの人が「なんかいいね」と考えていることを読み、自分の中にバランス良く取り入れていく。
媚びるのではなく、多くの人に適度に好感を持たれるように、自分の個性を周りと調和させていく。そんな人が、ステキに見えないわけがない。
以前は「おしゃれ」って何やねん!ってつっぱってたけど、そう考えてみたら、今は全力で「おしゃれ」さんになりたいなぁと思えるようになった。
というわけで、今年の目標は、全力でおしゃれさんになること(笑)。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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