Madu ケーキプレート |
早起きをするには、
朝起きるのが楽しみになるようなものを準備しておくといい、
ということを何かで聞いた。
例えばフレッシュなオレンジジュースだったり、お気に入りの珈琲だったり、
ちょっと奮発した有名店の食パンだったりしてもいい。
いろいろ探しまわって見つけた、
お気に入りのちょっと良いテーブルウェア、なんてのも効果テキメンかもしれない。
今、僕にとっての朝の楽しみは、このMaduのケーキプレート。
ほのかに生成がかった生地に透明感のある釉薬がかけられた白いお皿。
同じカタチで、備前焼のようにシンプルに焼き締められたマットな黒いお皿。
どちらもカタチはシンプルで、重くもなく、軽すぎもせず、
これ以上無いくらい機能的で使いやすい。
それでいて、それぞれそのテクスチャに微妙なゆらぎがあって、
見て、触って、飽きさせない。
いつもの朝の時間を、ほんの少しだけ上質にしてくれる。
カタチは同じだけど、素材が全然違う2色。 白いお皿は透明感のある釉薬に少しヒビが入っているテクスチャで見てて飽きない |
ところで、このお皿を探していて気づいたんだけど、
僕が好きだなって感じるものは
「カタチは工業製品みたいにカッチリしてるけど、素材感は自然なゆらぎのあるもの」が多いみたいだ。
テクスチャまでカッチリ工業製品的なものや
カタチにも手作り感たっぷりの歪みやゆらぎのあるものはちょっと苦手。
それはたぶん、
僕が「プロダクトデザイン」と「伝統工芸」をちょっとかじっていたことに関係あるんだろうな。
伝統工芸の世界では、一から十まで職人の手で作られることに美徳を見出す世界だけど、
多くの仕事は、手よりも機械のほうが早くて正確。
手でも早く正確につくれる人もいるけど、それにはとんでもない熟練が必要。
もっとカンタンに言うと、
人の手で、早く正確に作るのは「難しい」んだ。
それも、とんでもなく難しい。
だから、手作りなのにそれを感じさせない完璧なカタチは美しい。
(そしてきっととんでもなく高い!)
これが伝統工芸的なアプローチのしかた。
それとは別のもうひとつのアプローチは、
完璧なカタチを量産することが人の手では難しいなら、
そこは機械に任せようとすること。
たとえば、完成品が100だとして、全部手で作ったら10日かかるとする。
けど、80までつくるのに、機械は1日でやっちゃうかもしれない。
そしたらその後を手で仕上げても、3日でできる。
実はコレ、単純で当たり前な話に聞こえるけど、これがまたとんでもなく難しい。
どこまで機械にやらせるのか?
そのやりかた(機械/仕上げともに)で美しく仕上げられるのか?
均質化とゆらぎのバランスはどこに着地させるのか?
目指すカタチは機械で加工できるカタチなのか?
そもそもそのカタチは完璧なカタチなのか?
目指すカタチの完成度を求め
それを製作する工程を整え
最終的な製品の品質のゆらぎすらもコントロールする。
これがプロダクトデザイン的なアプローチ。
そんな感じでこのお皿、
奇をてらったわかりやすさは無いけど、
いろんな苦労の末に生まれたプロダクトなんじゃないかなぁと思い巡らす。
グッドデザインって、こういうプロダクトに与えられたらいいのに、と。
ま、ぶっちゃけ、そんな難しいうんちくは置いといて、
こうしていろんな難しいプロセスを経て完成された美しいプロダクトが、
こんなにもお手頃な値段で手に入るのが
なにより一番素晴らしいと(貧乏な僕は)思うのだけど。
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