プール |
いつもよりかなり多くの人に会って、いろいろと重い話の多かったシルバーウィークの疲れを癒すために会社を早く出てレイトショーに行ってみたら、思いの外重くてますます心が静かになって一人帰路についた。説明の少ない、語らない映画だから、心が求めているように写るのかもしれないけど。
その「重さ」は、例えば、長いこと人と触れあってなかったから、生身の人の身体って結構重たいんだな、ということを改めて実感したときのような「重さ」。温もりとか、優しさとか、そういうありきたりな軽い言葉とセットになって届けられる、心地よい「重さ」だ。
僕は「自分が好きなこと、したいと思ったことをするのが一番と思う」という京子さんにも、「二人の距離感って良いですね」という市尾くんにも、なんかどこか共感できない。それは、直接的には「それって自分勝手ってこと」だと思うし「置いてかれた私の気持ちを考えたことある?」という さよの「したいこと」が無視されている。
家族ってやっぱり「一緒にいる」ことが自然だと思う。お互いのことを想い合い、いたわり合うのが普通だと思う。もちろん家族であってもそれぞれ別の個人だから意見や利害や目的が合わないこともある。だからといって、それぞれ好き勝手なことやってて良い訳じゃない。家族がトータルとして最も幸せになるために、我慢しなくちゃいけないこともあると思う。それでもやりたいことがあるなら、きちんと説明して、みんなが納得できる道を見つける努力を惜しんじゃダメだと思う。
もちろん、我慢してつまらない顔しているよりもやりたいことして輝いているほうが子供にとっても良いことかもしれないし、何でもかんでもいちいち説明しなきゃいけないほど家族の絆は弱いものでもない。でもそれは後からついてくる良い訳に近いものであって、この映画から安易にそれを読み取ってしまうのは危険かもしれない。
映画は最終的に、何となくわだかまりは解けていくけど、それは偶然そうなっただけじゃないかと思う。いろんなことが重なって、偶然に。チェンマイの空気、さよの年齢、鍋パーティでの会話、そして映画には描かれないそれ以前に築かれてきた親子の関係。
不良になってもおかしくないんだよ、というさよに、そんな訳ないじゃん!と笑い飛ばすことができるのも、そんな訳ないじゃんと信じて1人旅立っていけるのも、それで最終的にうまくいったのも、この「関係」あってこそなんじゃないかな。
だから決して、この先自分が同じようなことをしたとしてもうまくいく訳じゃない。同じようなことをしてうまくいくためには、どんな「関係」をつくらなければいけないのか、そのためには何をしなければいけないのか。
この映画はその答えをくれない。
それは自分で見つけなきゃいけない。
というのが、ちょっと重かった理由のひとつかな。
レインボーヒル2009に、ハンバートハンバートを聴きにいく。
遊穂さんは写真で見るよりかわいかったし。「かわいー!」って女の子の黄色い声が飛びまくっていたし。映画と同じく、女の子と草食系男子に人気のバンドだね、まさしく。
ただ、良成氏は他のグループにゲスト参加してみたり、別バンドを立ち上げたり、初期はロックな曲もかいていたり、素朴なフォークソングばかりに興味ある訳じゃなさそう。世の中に認められたり求められたりする才能と、自分がやりたいことや好きなこととのミスマッチ。この先「ハンバートハンバート」の道を究めよう!っていう空気でもないのが、ちょっと心配。
駅を降りてすぐ木々の立ち並ぶきれいな通りを抜けた先にある、こぢんまりとした開放的な野外ステージ。アーティストもスタッフもお客さんもごちゃ混ぜになって、芝生でごろりと転がってビール飲みながらゆるゆるな音楽をまったり聴く日曜日。子供も多いし、子供好きのお兄さんも多いし、またいつでも何度でも来たいと思わせてくれた良いイベントだった。
#阿波座の「ダイニングカフェと雑貨のお店 マーサ」提供の手作りお総菜弁当が500円!ホカ弁より安いやん。行きがけにマックで買ってこなくて正解やった。
次回、レインボーヒル2010は2010年9月26日予定。今からスケジュールに入れとこう。
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