鉄コン筋クリート |
GWにBSでやっているのをたまたま見つけて観直してみたけど、やっぱり良い映画だと思った。ただ、今回たまたま親も一緒に観ていて、いつもなら「なんだこれ」で済ませて寝入っていたはずなのになぜか興味いっぱいに観た後に、「結局何が良いの?」と改めて訊かれてちょっと困った。
うーん。
この映画の、何が良いんだ?
「蒼井優のタルい声」ではもうごまかせない、か。
中之島 / 宝町 |
前に観たときには気付かなかったけど、この映画の舞台となっている宝町は大阪にとても良く似ている、と思う。川に囲まれた地形が中之島そのものっていうのもあるけど、それよりも、未だに立ち食いの串カツ屋が軒を連ね、パチンコ屋からは軍艦マーチが流れ、飲み屋ではちんどん屋に遭遇し、微妙にゴミの散乱した人通りが多くもなく少なくもない商店街の中心には張りぼてのような見かけ倒しの通天閣がそびえ立っていて、街全体が誰が意図する訳でもなく自然発生的に昭和なテーマパークになってしまっている「新世界」の雰囲気と。そして、通天閣に登ると一番に目に飛び込んでくる、少しうらぶれたラブホテルの数々に、北と東と南をぐるりと取り囲まれた街並みが。
「宝町の若いのは、みんなここで男になった」
潰されるストリップ劇場の前で感慨にふける鈴木のこんなセリフに気付かされたのは、「そこ」はもしかしたら、例えば「こち亀」や「三丁目の夕日」のような誰もが心温まる人間味豊かで下町情緒溢れる世界の、自然な延長線上に存在していたものだったんじゃないかと。それは連続する世界として確かに存在していたのに、そこで育ち、今は大人になった人たちが、思い出となったそれら世界を分割して、一方を「夕日町」に、一方を「宝町」にしたってことなんだろう。
思い出がリアルじゃないのは、そうやって世界を分割して取捨選択してるからで、それは生きていく上でも大切な「学習」の基本なので否定はできないし、するつもりもない。けど、そんなリアルじゃない思い出で街を作ったらどうなる? テーマパークだったら歓迎するけど、そんなテーマパークみたいな街に住めるのか?
一人の人が一生で触れる情報は極限られたものだから、できれば良いものばかり触れた方が良い。それはそうかもしれないけど、でも良いとか悪いとかは、過去に対してしか評価できない。今世の中で生まれ、生きている全てのものは、それが良いものなのか悪いものなのか、それが過去になってみないとわからない。逆に、良いものばかりに触れようとすると、結局は過去ばかりを求めることになってしまうんじゃないだろうか。
現実とは、良いも悪いもわからないものが日々ぶつかり合って、闘って、生まれては死んでいき、常に大きく変化し続けるつかみ所のないものだと思う。それは小さな細胞が日々生まれては死んでいきながら、個体として成長し、老いていく生命のように躍動的だ。
大阪が面白いのは、キレイなファッションビルも、おしゃれな街並みも、煌びやかな電飾街も、小汚いオフィス街も、時代に忘れられたレトロな街も、全ての「現在進行形」が良いも悪いも無く、仲良く肩を並べていることで起こる、つかみ所のない躍動感が日々リアルタイムに感じられるところだと思う。
そして、長くなったけど、この映画が面白いのは、そうした混沌とした世界の一端を確かに照らし、思い出に逃げようとする僕たちを捕まえて現実に引き戻してくれること。そして、そんな現実世界の溢れる躍動感を表現する、動きと、色彩豊かなアニメーションの斬新さだ。
と、結局こんな月並みな言葉しか出てこない自分が、ちょっと哀しい。
本日のメニューは、梅田MBSビル前の「アーバンテラス茶屋町」に入ってる「diner eve」で五目野菜のナシゴレンランチ。実はその隣のグローバルダイニング系イタリアンに行くつもりが貸し切りだったので避難してきたんだけど、内装キレイ!テーブル席広い!ランチ安い!人いない!(笑)という訳で良いとこ見っけ。次は夏の夜のテラス席で決まりだね。
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