この山に満ちるエナジーは 故人への想い 何千万もの

2007.11.23  

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高野山 奥の院 参道
高野山 奥の院 参道

 杉の巨木が立ち並ぶ鬱蒼とした林道の至る所に、総数20万とも40万とも言われる数え切れない墓標が、それを覆う苔や草木と同じようにまるでそこから自然に生えて、繁殖し、群生しているかのように静かに横たわる。

高野山 奥の院 織田信長墓所
織田信長墓所

 歴史上に名を残す偉大なる人物。情報網も交通も今とは比較にならないくらい未発達だった頃に全土に散らばる無数の国々とその支配者をまとめあげて一大国家を築き上げ、現生しながら「神」とまで崇められた人物。そんな「人間レベル」を遙かに超えたように思う人物でさえ、生物学的には今を生きる自分と同じように一人の人間であることに全く変わりはない。彼らも同じように平均50~80年くらいの時間を送った後に、確実に世を去った。与えられた時間は変わらない。
 全て変わらない、1つ限りの「命」だった。


 真言宗の開祖、弘法大師こと空海は、ここ高野山に真言宗総本山を築いた後、未来永劫にわたり人々を救い続けることを宣言し、永遠の禅定に入った。誰にも目撃されず証言もされなかった「死」は事実として否定され、空海は永遠に生き続けることに成功した。奥の院霊廟には今も毎日2回欠かさず食事が運び込まれている。1000年以上も守り続けられている「秘密」。それがこの地に祀られている、カタチ無き御神体の正体だ。

高野山 真言宗総本山 金剛峯寺 山門
高野山 真言宗総本山 金剛峯寺 山門

 その霊力満ちるこの森の土を苗床にして無数に生え続ける墓標は、しかしその全てが紛れもなく「死の結実」だ。生きた証ではなく、死んだ証だ。そして墓標は死した本人が建てることは決してない。それは死した人を想う人が、死後の安堵を願って下界からお骨を持って山を登りその地に葬った証でもある。今は大阪から特急で90分、麓からケーブルカーで5分とかからないが、開山当初から1000年もの間、その道程は決して楽なものではなかったはずだ。この山に満ちるエナジーの正体は、そんな困難を乗り越えてなおこれだけの多くの人々がこの山へ託していった、亡き人への想いなんだろう。


 もとは全て同じ1つの命だった。それがこれほどまでに多様な「死」を遺している。同じ命を持った人が、時に「神」にすらなれるのだ。僕は、少なくとも今はまだ、自分が生きた証を残そうとか誰かにその証言を託そうとか、そういうことには興味がない。けど、そんな僕でも、自分はこれから自分の人生をどう生きて、どういう「死」を残すのだろうかと、否応なしに考える。

 希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

 魯迅の言葉を思い出す。これだけ多くの人が、亡き人への想いという同じ願いを託していった山道。そこに芽生えるのは希望か、希望へ続く確かな道程なのかもしれない。
 腐った世界でも良い。誰も救えなくても良い。けど、願わくば、いつも希望を見失わない毎日を送りたいと思う。そしていつかそこに道ができたなら、新しい希望の種を蒔き、畑仕事に精を尽くしたい。

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