科学や文明が無くても 人は生命や地球の存在を確かに捉えていた

2006.10.24  

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漆原友紀『蟲師』 蟲師 (1)~(7)
漆原友紀

 大天災の折に他の全ての生命を消さんとした異質の蟲を封じた話がある.その禁種の蟲の封じ方も独創的で,各地を旅する蟲師から蟲を封じた話を集め,それを書物として書き記すことで,禁種の蟲の力を弱めていくというもの.
 思うに,人類の出現する遙か40億年も以前から続いてきた「地球や生命の歴史」からみれば,自然環境の大きな変動というのは頻繁に起こることで,それによって適応しきれなかった生命が絶えていくのは珍しくない現象だったはず.中にはほとんど全ての生命が絶えてしまう危機もあっただろうが,わずかでも生き残る種があれば,何度でもそこから新しい種が誕生し再生していった.総体としての地球上の生命は,あらゆる環境の変動に耐え生き続ける力を自然と備えている.けど,ヒトという種は特殊な存在だ.環境が自分たちに不適切に変わろうとするなら,その環境を変えてしまう力を持ったからだ.その力とは,ヒトは特異能力「知性」.
 禁種の蟲の出現は,おそらくヒトにとっては脅威だった「環境の変化」の一種であり,ヒトはそれまで見えずにただ怖れを抱くだけの対象だった蟲=「環境」をより多くより深く「知る」ことでそれをコントロールするようになった.そうした,ヒトの「知性」に対するメタファーがこの話で語られているように思う.

 世の中には不思議なことが沢山ある.日常生活の中でもふとしたときに感じるちょっとした異変.あるいは逆に,いつもそこに変わらぬ日常があること.陽の光を受けて輝く草木,風の中を舞う鳥,大地を這うトカゲや芋虫,そしてそれらを五感を通して全身で感じている自分という存在.生きていることの不思議.世界が存在することの不思議.自然が自然であることの不思議.
 もちろんそうした小さな不思議の大部分は,科学の進んだ今の時代なら簡単に説明の付くことかもしれない.けど,考えてもみれば,逆に科学で得た知識の大部分は,自分という個体が現実に対峙して得た経験とは結びついていないことが多い.地面は平面にしか見えないし,空はきれいな半球形で,その半球面に星や太陽が張り付いて動いているようにしか見えない.それでも「地球は宇宙に浮かぶ球体だ」と「知っている」ということは,与えられた知識に満足して,それとは違う世界を認識する自分の感覚器官を閉ざしてしまっているってことじゃないだろうか.
 たぶん,今ほど科学の進んでいなかった時代の人々は,もっと世界を真っ直ぐに捉えていたんだと思う.自分の目で見て,香りを嗅ぎ,手で触れることのできた小さな小さな世界だけを確かに認識し,後から「経験」を「知恵」に変換し蓄積していった.1人1人経験が違えば蓄えられる知恵も異なるから,そこに正誤はない.そしてその対象も,人が直接認識できる全ての事象が対象になる.だからこそそれは,「1人の人」が「世界」で生きていくために,本当に必要な情報になるんだと思う.

 何故人は生きるのか.人はどう生きるべきなのか.何故人は人を愛するのか.何故人は知恵を持ち,美しいと思う心を持ったのか.

 蟲は「生命の原生体に近いもの達」だという.物質と生命の境界線にあって,その架け橋となるエネルギーの源.あるいは,生命と,物質と,それとは違うもう一つ別の何かを成すもの.そんな存在を仮定することで,生命や世界の不思議を捉え直し,その美しさをより際立ったものとして描き出す.そして,次の日から僕の眼前に展開する世界の美しさに改めて気づかせてくれる.

 漆原友紀は,すべて狙ってこの作品を綴っているんだろうか.表面的にただただ美しいものとしてしか捉えられない「蟲」達の世界や物語の裏には,地の底を流れる光脈のように,現実世界のさまざまな,醜い,煩わしい諸問題が,意図的にテーマとして掲げられているんだろうか.
 いや,違うと思う.もちろん憶測に過ぎないが,どちらかというと彼女は過去に語られてきた美しい話を,自分の感性で織り直してるに過ぎないんじゃないだろうか.でも,そもそも昔話や神話というのは,いろんな自然現象を説明したり,人生や哲学を訓辞的に語りつぐ役割を担ってきたもの.だからそれらを素に織り上げられた物語には,自然と人生や哲学のテーマが織り込まれていくんだと思う.

 1人の人間の経験や思考の結果としてではなく,何百年,何千年を生きてきた人達の,経験の積み重ねが,「蟲師」の物語を作っているんだということ.そんな物語を読む価値が無い理由は,僕1人の人生程度では,いくら費やしてもきっと見つからない.

蟲師 - 筆の海 (JUNK KOLLEKTOR)
冒頭で触れたエピソードがこちらに詳しく載ってます.そう,僕が初めて蟲師のエピソードに触れたのはこのアニメ版の「最終回」でした.その独特の世界観だけでなく,こんな話で最終回か?!て思うとすごく衝撃的だったのを今も新鮮に思い出します.

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