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石田衣良 『愛がいない部屋』 |
仕事柄っていうよりも、むしろ単に好きだから、週末はよく無目的にインテリアショップを見て回ったりしているけど、ときどきふと、自分では絶対買うことがないようなもの(値段も、趣味も)を見て回ることに、どんな意味があるんだろうと思う。気の利いたギフトを選んだり、友人の好みを聞いてぴったりのものやお店を紹介することだったら得意だけど、それでプロのコーディネータが務まるかというと、とたんに素人と変わらないことに気付く。
結局、自分はまだ、こんなにも「自分が買わないもの」が大量に「売られている」理由や目的や仕組みを理解できていない。平たく言うと、誰が、どうやって、なんのために、こういうものを買っていくんだろう、という根本的なことがわかってない。
その意味で、この小説は新鮮だった。
引っ越ししたからカーテンを新調しよう、ありきたりの白い壁に飽きたから壁紙を貼り替えよう、昔から好きだった映画を観るためホームシアターセットを買おう、独身キャリアとしてがんばってきた自分の礎としてマンションを買おうか。そんな、何か特別な、日常を大きく変える節目に、あるいは日常を大きく変えるために、人は自分の住まいを変える。そんな環境の変化で、新しい恋人ができた幸せを実感したり、夫婦生活がうまくいってパートナーを愛おしく思ったり、自分の生きていくべき道が急にクリアになったりする。
そうか・・・うーん、なんていうか、家具も雑貨も、コーディネータもデザイナも、全部「脇役」に過ぎないっていうのは、こういうことなんだ、って。いろんな人が、その人なりの人生という舞台に立っている、その舞台美術であり小道具だ。それは舞台に立つ人を引き立てたり、あるいは舞台公演そのものの雰囲気を作るために全力が注がれるけど、決してそれが主役になることもなければ、それだけが独立して舞台の外に出ることもない。
誰かが、自分やその周りの人のために、自分で選んだり人に相談しながら、人生の小道具を買っていく。それがやがて誰かの手に渡って、その人の人生を少し豊かに、幸せにする。
そんな小さな幸せでいっぱいなんだと思ったら、インテリアショップはとても楽しいところなんだと気付いた。そしてそんな小さな幸せという願いを叶えるインテリアの仕事はとてもステキな仕事だと思った。
このところ金欠で家に引き籠もってることが多かったので、久方ぶりの「堀江カフェ」の週末。堀江公園を3Fから見下ろす「Cafe MODE」で、秋の夕暮れを過ごす。
造りは荒いが、最初からキレイに見せようとしてないのが、潔くて好感。もっと荒れたら、奥のオブジェのキレイさが引き立つかも。大判の絵画が掛かってたりすると、もっとステキかもしれない。
トムバックは固くて変なカタチをしているが、3時間座ってても全然疲れなかった。これがデザイナーの力量なのか。あるいは相性がよかっただけなのか・・・。
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