100年育った木で 1年使えるものを100個作れば 100人が助かる

2006.12.28  

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来年にも引き継いでいく諸問題

 先日珍しくテレビを点けていたら「名探偵コナン」をやっていたのでついつい観ちゃっていたんですが,100歩譲って「薬物で子供になること」があったとしても,「もとに戻る」ってどういうこと? ていうか,なんでそもそも,当たり前のように「もとに戻る」ことが可能だと思っているんだろう.
 例えとしてはあまりよくないかもしれないけど,例えば,スリ傷やカゼ程度であれば1週間くらいで跡形も無く完治して「もとに戻る」.けど,指を切り落としたり失明したり脳内出血で脳障害や半身不随になってしまうと,それは「もとに戻る」ことは無く,あとは自分かその周りがそれにどう向き合っていくか,どう折り合いをつけていくかの問題になる.

 人が生きていく中で出会う様々な現実的問題と言うのは,そんな問題ばかりじゃないのか.数学みたいに導き出したらそれで終了になる「正解」があるわけでもない.解決策を知っていてもそれが実践できるとは限らないし,実践できても成功するとも限らない.そうこうしているうちに時が経ち,自分も周りも変わっていってしまう.結局,問題を解決したのか,自分たちが成長して問題が相対的に小さくなったのか良くわからない.
 けど,つまりそういうことなんだと思う.解決できない問題は,自分の受け取り方次第でいくらでも小さいものにできるんじゃないだろうか.もちろんそれには時間がかかるが,時間をかけて問題を消化することと「成長」することは同義で,見方を変えればそれは,諸問題を解決しようとすることが成長を促す栄養素になっているんだろう.

 そう考えていれば,何かと自分の思い通りにならない理不尽なこの世界が,少しだけ生きやすくなるんじゃないかなぁ.

使い捨てることが前提のものづくり

 店舗内装,特に飲食では,数年で完全改装することを前提でデザインするらしい.売り上げ予測から,何年続ければ売り上げがいくらになって,だから内装にこれだけ予算が割り当てられるというところから話が始まって,どれだけ順当な売り上げがあってもやっぱり頃合を見て全部取り壊して新しく作り直してしまう.

 もったいない話だと思う? 僕はこの話を内装設計の授業で聞いて,目からウロコが落ちました.そうか,そういう考え方もあるかもしれないと.

 「100年育った木では,100年使えるものを作る」という考え方は当たり前でわかりやすく良く聞くと思う.濫用すべきでない木材も,長く使えるものになれば結果的に環境にも優しくなるとか何とか.
 ただ,世の中の全てのものが100年の耐用年数を必要とされてるわけじゃなく,確実に短い年数で使い捨てられるものが必要とされ作られている.だったら,そういうものは,例えば1年で不要になるものは100年もつものの100分の1の環境負荷で作ればいいんじゃないか.つまり,「100年育った木では,1年使えるものを100個作る」みたいな考え方.使う材料を減らす.リサイクル可能な材料を使う.製造,流通,廃棄にかかるエネルギーの単価を抑える.ものを必要する人の数は限りないからものは作り続けられるし,80年程度しか生きられない人にとって世代交代によるものの廃棄や再生産は原理的になくならない.だから1つものを大切に使うという思想を広めるよりも,百均のアイテムを全部環境負荷を限りなく低くする方が「地球のため」になるような気がする.

 良いものは壊れないでいつまでも使っていたいし,だから壊れない,丈夫なものを作るのは良いことだと思う.けど,なんでもかんでもむやみに耐用年数を長くすればいいってものでもないと思う.求められる耐用年数に見合ったディテール,工法を選ぶこと.それは単純に無垢だから高級,メラミン合板だから安いっていう価値観ではなく,バラして捨てやすいから合板,直したり違うものに作り変えることができるから無垢みたいな,ちょっと複雑な価値観によるんだろうけど,それはあまり社会一般に通っていないからなかなか理解してもらうのは難しいとも思う.

 僕もまだ,この手の話は想像の域を出ないので説得力のある話はできないけど,ちょっと興味を持ってくれたなら,例えば「無垢でベビーチェアを作る」ことの環境的な意味(コンセプト)を考えてみてください.

注:実際無垢でベビーチェアを作ってた人がいたけど,ホントに「たまたま」であって,以前から考えていたテーマだし,他に良い例が見当たらなかったというだけで,何かを意識してとか意図してとか一切無いことをご理解ください.

 ちょっと違うほかの例を挙げると「ランドセル」.ランドセルはどれだけ頑丈でも確実に6年しか使わない.だったら,捨ててしまう前にミニチュアにリメイクするっていうサービスは的を射てると思う.けど,「バラしたらハンドバッグにリメイクできるランドセル」をデザインすることは,間違ってるんじゃないかと思う.そのものが本来期待される機能を削ぐことなく,その天寿を全うしたものを安心して処分できるような,そんなデザインが理想なのかもなぁ.

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はじめまして。k-enさん。
ちょくちょくこさせていただいてたんですけど、今日は目からウロコだったので、思わず書き込みを。
1年で廃棄するものは100年持つものの100分の1の環境コストって言うのは目からウロコでした。
確かにそうですよね。長く持つから環境に良いだけじゃなく、その耐用年数なりの環境コストを考えるべきですよね。
デザイナーって色んなこと考え、要求されてるんですね。消費者にはない発想ですね。勉強になりました。

こちらこそはじめまして.コメントありがとうございます.
いつも何も考えずに情報を垂れ流しておりますが,こうして反応があると気合のスイッチがカチリと入れなおされるので助かります(汗

僕はデザイナーじゃないので,ものづくりをちょっとかじった一消費者としての感想でしかありません.注意しなきゃいけないのは,僕の話は全部「想像でしかない」ことで,こういう見方をしてみたら何か変わるかもという可能性は提示できても,だからどうしろという具体案は何も言及できないのが弱いところです.何ができるかは,この先10年20年の課題ですかねー.


今日の新聞に興味深い一説があったのでメモしておきます.

「ガソリン価格は,生産費と販売経費などが含まれるが,間接コストは含まれていない.間接コストとは大気汚染で呼吸器系の病気にかかった際の治療費,酸性雨による穀物被害や建物の損傷などだ.」
「市場は本当のコストを計上せず,環境に負担させてきた.間接コストを払わなければ,地球は倒産する.間接コストは所得減税に伴う環境税の導入で対応できる.」
(中日新聞 2007年1月1日16面 米アースポリシー研究所 所長 レスターブラウン)

 製造,流通,販売だけでなく,消費や廃棄までをデザイナーが考える時代にはなったけど,次は消費や廃棄にかかる責任を製造者だけでなく消費者も負わなければならない時代になる,していかなければならないという考え方.環境にダメージを負わせた分,価格を上乗せして環境回復に費やすとか.家電リサイクル法規定のリサイクル料金を販売時に徴収するとか(「PCリサイクル」は現行で実施).
 そういう取り組みこそ,メーカーの善意だけでは頼りなく,国による包括的なシステム作りを!と思い至れば,ワイドショーの批判的スキャンダルを差し置いて,環境省や経済産業省はホントにすばらしい役割を果たしていると思えるし,メーカーの善意もイメージ戦略の偽善なんて微塵にも思わなくなるし,そういうのに少しでも絡んでいけるようになりたいと思えば,国をも動かす気概というかバイタリティが必要になってくるんだろうなぁと考えるようにはなりました.この歳にして,ようやく.

 でもまずは,でかい口を叩くばっかで終わらないためにも,暖房を抑えたり電気をこまめに消したりする毎日から始めてみることを,今年の目標にしてみようかな.なんて.

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