と言う訳で,恥ずかしげもなくパクってみました.
厚さ48mmというあり得ないサイズの木っ端がゴミ捨て場資材置き場から発掘されたので,その量感そのままに,8°のテーパーを付けたキャンドルホルダーに仕立ててみました.珍しく銘木のような杢が走ってて,オイルを吸ったその表面が複雑に光を反射して,角度によって微妙に違った表情を見せる,見てて飽きない逸品になったと自己満足.ちょっと円の加工精度がイマイチなのが玉にキズですが.
さて,パクってみるとこの角度,実際なかなか美しい角度であることがわかります.
パクるのはとてつもなく楽な仕事です.と言うよりもむしろほとんどのデザインどころか芸術全般は,パクるところから仕事がスタートします.が,Optimus KeyboardのArt.Lebedevが言うように,なぜパクリ元のデザインはそうなっていて,違うデザインにならなかったのか,つまりそのデザインの表面に現れないコンセプトや目的は何か,逆にどういった失敗や間違いを避けたのかを知らなければなりません.
一時期,例の透明な初代iMacがパラダイムシフトを起こしたとき,周辺にやたらと半透明プラスチックを使った製品が氾濫しました.が,そのほとんどはiMacの「透明」という文脈を表面的になぞっただけ,既存のモノを透明にしただけの,今まで見えなかったからおざなりになっていた中身を無闇に曝した醜い製品にしかなり得なかったのは,記憶に新しいところです.
代表的な症状が,プラスティック筐体内側の補強のための仕切みたいなのが見えてしまっていたこと.こういう「醜さ」を排除するため,表だけでなく裏まで考慮する必要のあったiMacのデザインが如何に苦労あるものであったか考えさせられます.
じゃあコクヨさんは何を思ってこの角度を採用したのか.わかりません.わかりませんが,少なくとも,デスクトップツールとして,このサイズの,このアスペクトバランスの雑貨にとっての「最適な角度」を試行錯誤で導いたのは疑いようがありません.だから同じくらいのサイズのこれにはピタリとはまりましたが,これを例えば本棚やスピーカーに適用したとして,良い結果が得られるとは限りません.
結局大事なのは「結果」じゃなくて「プロセス」です.パクるとは,過去を参照するというのは,それらが辿ってみた道筋をもう一度辿り直すという意味です.パクってるだけでは応用力がつかないよ,という戒めを,今日の教訓として.
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