2006.03.28  

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EIZO FORIS.TV

 著書『プレゼンテーションの極意』を読んで以来,一度その自信満々で言う究極のプレゼンテーションというのを観てみたいと思っていたので,一般歓迎しかも無料を謳う「川崎和男最終講義講演」というチャンスを掴みに,この春はもう何度と無く足を運んでもういい加減飽きてきた名古屋栄へ出かけてきました.

 制限も整理券も無い自由席.「十分な数を確保してます」と言われていた席はしかし,開場時間前に満席御礼.受付待ちの長蛇の列を横目に,1時間前に来て正解だったと胸をなでおろす.ホールに入ると正面に巨大な2面スクリーン.左右の壁にも抽象的なCGアニメーションを投影し,アンビエントな音楽を流す.でもそれら数々の演出が明らかにプロに頼んだものではなく,腕の良い学生が結託して作ったような絶妙なクオリティで,なるほど確かに,このくらいのプレゼン,挑戦して当たり前なのかもなぁと,雲の上ではなく手の届く目標として捕らえられたことは今回の大きな収穫だったと思います.

 名古屋市立大学を退官するにあたっての「最終講義」ということなので,話は主に名市大での10年,成果や展望,謝辞,そして教育者としての学生への訓辞といった内容でした.

 ひとつだけ心残りだったのは,最後の学生レポートを読んだとき「何度も話がしたいと思っていたけど,結局話しかけられずじまいでした」という学生がいたこと.なんてナイーブなんだと.もっと遠慮なく話しかけてきてほしかった.

 いろんな話がある中で特に心に残った言葉.基本的に権威に弱く肝っ玉の小さい自分はきっとこの学生と同じレポートを提出する羽目になったんだろうとダメ共感.でも俗に「喧嘩師」と恐れられる大先生でも,いやだからこそ,引っ込んでる学生まで気を回す暇が無く,積極的に,むしろ仕事の邪魔でしかないくらい強引にアプローチしてくる学生を贔屓することになるのは当然のことなのかもしれないなと.そしてそういったアプローチを「期待して待つ」と言うことも.
 不器用なのは経験無いから当たり前.門前払いも実力無いから当たり前.それでももしかしたら関心を持ってくれる可能性は,積極的にアプローチしなければ決して開かれない.そんな行動力の源たる勇気が,その言葉によってほんの少し増強されたような気がしました.

 それでは,そんな先生の最後の挨拶です.

 僕のような危険な人間を今まで置いていただきありがとうございました.大阪へ行っても最も危険な人物になって,最後には政治犯で捕まりたいと思います.

 うわー.やっぱり喧嘩師だ(汗).

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