シンプルでキレイ と 魅力がある は違うと思う

2009.09.07  

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iida misora

 家族がみんなauにしたので次の更新のタイミングで乗り換えようかなぁとauショップに足を運んだとき、最新デザインケータイブランドiidaのコーナーに高齢者向けシンプルケータイが並んでてちょっとビックリした。

 それが「めざしたのは、シンプルであること。」と謳われた iida misora の第一印象。うーん、改めて写真で見ても、「ちょっと洗練されたシンプルケータイ」以外の何ものでもない。確かにシンプルでキレイだけど、魅力があるかっていうと疑問だ。

 まず、 「シンプルなデザイン」と「簡単なデザイン」の境界はとても微妙なところにあって、これはたぶん真っ直ぐにシンプルを求めた結果、簡単シンプルケータイにしか見えなってしまっていると思う。

 デザインはそういう微妙な境界を狙ってはいけない。

 成功したシンプルデザインケータイは、よく見るといろんなところがシンプルじゃない。むしろ、うるさいくらいいろんなところがデザインされている。それなのに、印象はシンプル。深澤直人のプロダクトは、そのへんの「騙しテクニック」が上手だと思う。

 けど、misoraが残念な本当の理由は、このケータイを持ってる僕は、たぶんオシャレに見えないって思うこと。少なくとも僕には、これは「簡単ケータイ」にしか見えない。1人が思うんだから、そう思う人は他にもいるはず。

 本当にオシャレなプロダクトは、決して自己満足には終わらない。特に携帯みたいないつも持ち歩くアイテムは、人からも確実に観られてる。「あんなカッコいい携帯を使ってるあの人はさすがカッコいい」とか、「あんな携帯を選ぶなんてさすがあの人らしい」とか、周りの人は確実に思ってる。それなのに「なんか機械に弱い人が使うシンプルケータイみたい」と思われる危険性のあるケータイを選んだら、文字通り、自分のセンスが疑われる。そんなケータイが売れるわけがない。いや、少なくともデザインケータイとして売ったらあかんやろ!と思う。

 ポイントは、デザインブランドだから美しいとか、誰が作ったから美しいとか、これはこれこれこういうわけで美しいはずだとか、そういう小難しいコンセプトは広く一般の人にはわからないということ。それとは逆に、キレイ、カッコいい、最新式、オシャレといった感性価値は、誰にでもわかりやすいところで表現されている。それがいわゆる「デザイン」の役割だ。
 自分らしさを表現するケータイを選ぶのに、小難しいコンセプトは必要ない。デザインケータイである必要もない。ただ自分の直感を信じて、あるいは周りの人の印象を伺って、これだ!と思うものを選んだらいい。

 僕が出会うセンスの良いアラフォーの人がほとんど、いわゆる「デザインケータイ」を使っていない理由が、最近ちょっとわかってきた気がする。


 ホントはSportio water beatが今の気分かなぁと思って観に行ったんだけど、後でカカクコムのレビュー見たら思っていた以上にけちょんけちょんにされてて、迂闊に手を出さなくて良かったと思うことにした。

 請求書見直したら、契約更新にはあと4ヶ月もあることが判明したので、とりあえず電池パック交換してもらって延命処置。4ヶ月もあったら冬モデルとか出てくるかも。期待して待とうかな。

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