小さな「行動」が世界を変えていく 少なくとも何もしなければ変わらない

2008.12.22  

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『大いなる陰謀』 大いなる陰謀

 9.11からイラク戦争へ至る対テロ戦争を勝利に導くべく新たな作戦を立案した上院議員と、その取材のため独占インタビューを取るジャーナリスト。その作戦で前線に立つ二人の兵士。大学で政治学の教鞭を執る教授の部屋に呼び出された学生。それぞれ違う立場から、同じ「戦争」という出来事に、どう関係し、どのような行動を起こすのか。
 とてもフィクションだとは思えない。歴史で習う戦争、ニュースで知る戦争、ましてや体験として語られたり映画や物語として伝えられる戦争の、そのどれとも違った「リアリティ」を感じた。それは、この映画が、一般的な「起きてしまった戦争を嘆く」映画ではなく、今起ころうとする戦争に対して、傍観を揺るさず、自分には何ができるのかを考えさせる映画だからだと思う。

 何か「コト」が起こった結果に対しそれを批評するのは簡単だ。また、何か「コト」を起こそうとするときその結果を予測するのも、過去の情報を十分に集め検討する時間があれば難しくないだろう。けど、結果は当然のこと、予測すら十分に立てる時間の無いまま、「コト」を起こさなければならないとしたら? それで失敗したら? 起こした「コト」に意義はあったと言えるのか?

 それに対する「少なくとも行動には出た」という答えは、優れた回答だと思った。
 行動には勇気だけでなく、洞察力、決断力、実行力、責任、そして知識が必要だ。この中で、特に知識とは、過去の出来事や行動の結果から得られた「経験則」の固まりだ。こうしたらうまくいった。こうしたら失敗した。だから次はこうしたほうがいい。それは「失敗のリスク」を回避するためのものだから、あればあるほど行動を抑止する。そうした足枷を負ってもなお行動を起こすのが「勇気」だ。それらを一切持たずに行動する「無謀」とは違う。だからそれは、賛辞になる。

 賢い学生は、世界が矛盾や欺瞞に満ちている事を知ってしまった。下手に動いて目立つと真っ先に射貫かれてしまう。だから何もしない。そんな悪意を避け、自分一人適当に生きていく手段だって簡単に見つけられるだろう。
 けど、そんな世界の真実を見る目があるからこそ、よりよい世界を築くために何ができるのか考え、実行する義務がある。それは無謀に行動を起こす人よりも優れた結果を残す可能性が高いし、仮に失敗しても、学び、計画し、決断して実行された結果は人類の糧となり、総体として人類はさらに成長していく。

 いや、「世界」とか「人類」というとむやみにスケールが大きくなって、自分には関係ないや、と思ってしまいがちだけど、英雄たちはたまたまそのスケールが大きかっただけ、どんなスケールの人だって、自分の手の届く小さな「世界」のなかで、「自分」や「家族(仲間)」を成長させていくことに変わりはない。
 新たな目で世界を見回すと、そこには解決しなきゃいけない無数の問題が見えるようになった。少しでも解決し、よりよい世界を作っていくために、何をしなければいけないのか。世界を観て、行動することが、「生きる」ってこと。なのかもしれない。

 いつまでも傍観してるだけでいいのか?

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