「思った」よりも「つくる」のは難しい。それに気づくとアートの偉大さがわかる。

2008.05.30  

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アラン『芸術の体系』 芸術の体系
アラン

 筋肉の胎動が感じられる程に精密に削られ磨かれた彫像、皮膚の色艶まで感じられる絵画、喜びや悲しみの旋律を乱れや雑音無く奏でる音楽、生ある人の全ての活動を習慣と規律に結び再生する舞踏。

 この本で対象としている「芸術」は、オペラやギリシャ神殿彫刻やダヴィンチやレンブラントのような、いわゆる古典的な芸術に限られているように感じるが、現代にも一貫して通じる芸術の本質を見事に抽出している。
 著者はピカソやデュシャンと同世代で、書かれたのは第一次世界大戦への従軍中。結果ではなくプロセスに注目することで芸術の新しい道を切り開く姿勢はまさにモダニズムクリエーションそのものであり、現代美術の産声と呼ぶにふさわしい一冊だと思う。


 結局は、何か表現したいものがあり、それをどれだけ精度良く表現できているかが、芸術の価値の大部分を占めている、と思う。大切なのは何を表現するかだ、というのは、そうした「表現する技術」が完璧に養われた上で初めて問うことのできる問題であり、あるいは「表現する技術」の稚拙さをごまかす口実に過ぎないのではないか。

 その対象が木であれ、石であれ、例え自分の身体であったとしても、そのカタチを自分の意のままに変えることは思ったよりもずっと難しく、だからこそ思うようなカタチにするために多大な鍛錬を必要とする。素材はなかなか思った通りにカタチを変えてくれないし、だから当初の想いは変更、断念せざるを得なくなったりもする。
 「思った」よりも「つくる」のは難しい。このあまりにも単純で当たり前だと思っているから、むしろ忘れられがちな事実に気がつくと、「結果」としてただ示された芸術に秘められた「プロセス」の美が見えてくる。

その意味で、石や堅い木材や鉄に残る道具の跡は、すでに一つの装飾だといってよい。そして、対象の摩滅や耐久財のかけらにさえ示される、変化にたいする対象の抵抗力を目にすると、そこに美のしるしがあると思わないではいられない。

 思い通りにならない素材の「抵抗」やそれに打ち勝ち、あるいは受け流し、格闘した「痕跡」に美しさを感じるのは、そうした結果を生み出すのに費やされた時間、繰り返された試行錯誤、それでも諦めずに続けて結果として残した人の営みに強い感動を覚えるから。それを感じられるにはもちろん、その道が如何に険しいものかわかっていることが前提になっている。だから、つくる術、つくる難しさを知れば知るほど、できたもののもつ「強さ」に共感することができる。


 けど、つくる難しさをどれだけ知っても、つくる能力は磨かれない。むしろつくったものの稚拙さ、未熟さがよけいに目が付くようになって、ますますものがつくれなくなってしまうだけ。つくれるようになるには、つくるしかない。どんな駄作でも、手を止めちゃいけない、といったのはリリーフランキー氏だったか。

芸術作品は作られ、対象とならねばならない。・・・可能なものはどれも美しくなく、現実のものだけが美しい。まず作り出し、そのあとで判断せよ。それがすべての芸術を成り立たせる第一条件だ。

 ものをつくらずに生きる術はない。

 なにもつくれなくなったとしても、その信念は捨てずに生きていこうと思う。

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