2004.04.22  

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YES オノヨーコ展 『YES オノヨーコ展』 東京都現代美術館

 「ジョンレノンとポールマッカートニーとどっちが好き?」という問は,その人の音楽趣向ではなく,その人の芸術全般に対する姿勢を明らかにするものだろう.
 ポールマッカートニーは,例えばエリッククラプトンのように,ロック史にその名を残すにふさわしい20世紀を代表する偉大なロックミュージシャンの一人である.が,ジョンレノンは既にロックの領域の人間ではない.いや,ひょっとすると人間すら超越した存在ではないだろうか.彼は,いわば20世紀のキリストなんだろうと思う.そして,彼をその高みまで昇華させた人物こそがオノヨーコだった.

 僕は,ジョンレノンが凶弾に倒れたちょうどその年に生まれたから,当然ビートルズも前衛芸術もリアルタイムで知りえるはずも無く,長らくオノヨーコと言えば「ジョンレノンの妻」程度(え? 日本人だったの?! 程度)の認識かあるいは「ビートルズを解散させた魔性の女」という噂しか聞こえてこなかった.
 当時のオノヨーコのイメージを総称すると,それはつまり「よく知らない」人だった.普通に音楽好きが誰もが通る通過点としてのビートルズファンにとって,彼女の存在はそれほど大きな興味を抱かせなかった.そしてそれは,そんなに遠くない昔に,現代アートに興味を抱き開拓していく中で,「前衛芸術家オノヨーコ」を再発見するまで,大きく変化する事は無かった.
 そんな経緯があるため,今の僕にとっては彼女のイメージは純粋に「前衛アーティスト」.それこそビートルズとは無縁で,ジョンレノンも,彼女のアートを語る上でなくてはならない重要な存在という位置づけである.

 僕が,彼女の作品群から受ける共通の感情は「優しさ」である.我を張っている人,虚勢を張って自分を大きく見せようとしている人,手に余る巨大なプロジェクトを前に怖じ気づいてしまっている人に対して,「そんなにがんばらなくても,それを実現するのは案外簡単な事なのよ」と優しく語りかけてくれているような感じ.
 彼女は絵画とか彫刻などの具象表現を介さずに「インストラクション」と呼ばれる短い命令文で,観賞者の頭の中に,ダイレクトにその表現を形成する.彼女はそれによって,作家には努力して美術的表現のための技術を磨く必要がないこと,また観賞者にも自らがそういった美術表現を頭の中に創造する力を持っていることを証明する.
 こうして作家と観賞者が完全にシンクロしたときの,その衝撃の大きさは,他のどんな作家の作品を観賞したときのそれとはかなり異質のものである.例えばその作品の写真をチラッと見ただけで,あるいはその詩的な一文を読んだだけで,背筋が凍り全身に鳥肌が走る作品は,オノヨーコのそれをおいて他にはない.

 初めて≪青い部屋のイヴェント≫での,直線と「この線は大きな円の一部である」というテキストを見た瞬間に,自分のちっぽけな脳の中に出現したあまりにも巨大な円のイメージに背筋が凍り付いた.その円は地球の表面とは反対側に,空の彼方,宇宙の彼方に向かって広がっていた.そして地球の大きさも感じることが出来た.僕は,その部屋が鮮やかな青に染まるまで,そこに立ちすくんだ.

 初めて≪EX IT≫を観たとき,無数の屍と,それを苗床に成長する新しい命のイメージに全身に鳥肌が立った.
 この≪EX IT≫を観て,オノヨーコ自身の「人の死は悲しいけれど,土に還って新しい命を生むことができる」というコメントから死を肯定的に解釈する人もいるらしいけど,残念ながら棺桶は2~3個ではなく100個.部屋を埋め尽くすその数からは,世界規模での大量死しかイメージされない.そしてその屍から産まれる新しい命は人間ではなく植物.つまり,これは人類が絶滅した後の再び自然だけが世界を覆った穏やかな世界なんだろう.
 これを肯定的に捉える,例えばこれが心地良く感じると言うことは,「人類なんて滅んでしまえ」ということじゃないか.だからこれはブラックユーモア.僕は人類が滅んでしまった世界ほどつまらない世界はないと思うので,そういう捉え方をしても,このインスタレーションは戦争や飢餓,疫病などの大量死に対する警告になる.

 2000年10月にNYでスタートし,日本では2003年10月から水戸,広島と巡回した後,つい先日ようやく東京に上陸したのが今回の「YES オノ・ヨーコ展」.それは回顧展として,彼女の仕事の概略を紹介する展覧会としては充実したものだったかも知れないが,それが知りたかったら飯村隆彦氏の「ヨーコ・オノ 人と作品」を読めば良いワケで,それを読んだ後の実際にオノヨーコの生の作品に対峙するという意味では,ちょっと展示規模が小さかったと思う.主要作品は網羅してるけど,でもアレも観たいしコレも観たいと,まだまだ観たい作品はいっぱいある(それだけオノヨーコの作品は多岐に渡っている).それはつまり,これからも他の美術館に行ったときなどに,彼女の足跡を再発見する喜びが残されていると言うこと.いやむしろ,今回も展示されていた90年後半からの巨大インスタレーション群はまだまだ発展の余地があると感じずにはいられなかった(生死を扱ったり光を扱ったりとテーマや手法も定まってなく模索してる感じ).だから,今後とも,彼女の新作にも期待しようと思う.

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